2016年 アイルランド
『シング・ストリート 未来へのうた』ストーリー
1985年のダブリン。高校生のコナー(フェルディア・ウォルシュ=ピーロ)は、父親の失業による困窮で、私立高校から公立高校に転校する。ところが新しい学校の校風になじめず、いじめっ子や校長から目をつけられてしまう。
学校や家庭環境で悩むコナーだったが、ある日校門の前でモデル志望の少女ラフィーナ(ルーシー・ボイントン)と出会ったことがきっかけになり、同級生とバンドを結成。オリジナル曲やミュージックビデオを作り始める。
バンドを始めたことがきっかけになり、コナーの周囲の状況は少しずつ変化していく。そして、コナー自身も悩みや葛藤を抱えながらもだんだん成長していくのだった。
『シング・ストリート 未来へのうた』感想
「バンドマンとして成功する人は、意外と暗い子ども時代を送っていたことが多い」という傾向があります。実際に、学生時代いじめや孤独で悩んでいたことについてインタビューで語ったり、曲自体でそんな過去に言及するアーティストもけっこう多いですよね。
そういう人たちがいじめられた理由は多分、価値観や行動が周囲の競争社会と合わなかった、という部分が大きいのではないでしょうか。そしてそういう理由から来る孤独は、同じ価値観を共有できる仲間を見つけて、表現の場を得ることであっけなく解決してしまったりします。
この『シング・ストリート 未来へのうた』は、そんなストーリーを描く作品です。
主人公コナーは今ならいわゆる「ぼっち」「陰キャ」と呼ばれるような冴えない少年で、家庭の事情で良くも悪くも奔放な公立高校に転校し、合わない校風、親の失業による貧困、それによる家庭の空気の悪化……という逆境に悩まされます。
ところが「女の子に一目惚れして、彼女に近づくための嘘がきっかけでバンドを結成する」という、不純すぎる動機から音楽にはまり、コナーの生活は一変します。
まず、この「女の子に好かれたくて、かっこつけでバンドを始める」という部分がもうリアルです。おそらくプロも含めてけっこうな割合のバンドマンが、「友だちに誘われた」とか「モテたかった」という音楽とは別の理由でバンド活動に入るんですよね。
そして、そのうちの一部の人は当初の目的も忘れるほど音楽にのめり込み、さらに自分でも気づいていなかった意外なセンスを発揮して、ぐいぐい頭角を表したりします。
コナーもその典型例で、はじめはモデル志望の少女ラフィーナへの憧れから「バンドやってるんだ」と大ウソをかまし、そのうち「ラフィーナの気を引く」という目的を超えて音楽にのめり込みます。
バンドの成長自体は都合が良すぎるくらいにどんどん進み、コナーが予想外の作詞作曲センスを発揮したこともあって、本格的に音楽の道を目指せるレベルで「ちゃんとかっこいいバンド」になっていきます。
ご都合主義っぽく見える部分もあるかもしれませんが、この映画の本題は「バンドの結成・活動・発展」という音楽的な部分よりも、その中でのコナーの成長ドラマ的な部分です。
序盤のコナーは一見すると頼りない少年ですが、いじめっ子相手にも一応抵抗する意思を見せたり、高圧的な学校長に控えめながらも反論したりと、どこか可能性を秘めているようで「惜しい」存在に見えます。
そんな彼が「バンド」という支えを得たあとの進化は鮮やかです。目にはどんどん力が宿って、行動も話し方も自信に満ちていきます。中盤でいじめっ子を真っすぐ見据えて「殴りたいなら殴れ。暴力しかないんだろう。それが君だ」と言い切るシーンは、そんなコナーの成長が一番はっきりと表れているシーンではないでしょうか。
最初にラフィーナに話しかけるコナーは「どう見ても高嶺の花な少女に無謀にも声をかける冴えない少年」だったのに、彼女と並んでも違和感がなくなっていくのも印象的です。
そして、そんな成長を遂げながらも、基本的にコナーの見た目はほとんど変わらないのにも注目です。ラフな髪形とぽてっとした童顔で、クラスの中心人物っぽくも特別イケメンでもなかったコナーが、精神的な進化だけでここまで別人になるか、と驚かされます。人間の印象を一番左右するのは、結局は表情や立ち振る舞いなんだな、と思えました。
映画のテンション自体はけっこう淡々としてて素朴なのに、コナーの成長が「人間は自分が拠りどころにできる居場所があるだけでここまで変わる」というのを体現しているみたいで、観ていると不思議とポジティブな気持ちになれます。
「晴れ渡る青空!」という清々しさというよりは、「少し肌寒い風の吹く早朝」という感じで、アイルランドのどことなくひんやりした空気感も合わさって、地に足の着いた清涼感を感じられます。
まとめ
プロアマ問わず音楽をやっている人の中には「音楽と出会ってから(程度の差は人それぞれでも)人生がいい方向に向いた」という人も多いと思いますが、そういう人が見ると、特に共感できるポイントが多いんじゃないでしょうか。
観たあとに派手なインパクトの残る作品ではありませんが、そっと前向きな後味を残してくれる、優しくて爽やかな名作です。