世界的な危機によって人類の滅亡が迫る……という、いわゆる「終末」系のストーリー。決してまったくの絵空事ではないからこそ生々しく、「滅びの美学」みたいなものもあって、思わず魅入ってしまいますよね。
そんな終末を描いた小説の傑作として知られるのが、ネビル・シュートの「渚にて」です。
静かに迫りくる人類の終わりを、繊細で優しいタッチで描いたこの小説を詳しくレビューします。
「渚にて」あらすじ
第三次世界大戦が勃発し、放射能によって北半球が壊滅した1964年。アメリカ海軍の潜水艦スコーピオンは新海を潜航中だったため辛くも戦争を生き延び、まだ無事だった南半球のオーストラリアに受け入れられる。
乗員たちはオーストラリア海軍に合流して平和な日常を過ごしていたが、放射能汚染は徐々に南半球にも迫っていた。そう遠くない未来に人類が滅亡することが決まっている世界で、オーストラリア市民は最期の日々を穏やかに過ごすのだった。
そんな中、アメリカから奇妙な電波が発せられていることが分かる。スコーピオンは生存者や安全地帯の可能性に賭けて、危険なアメリカへの航行を開始するが……
感想
どこまでも穏やかな日常描写が切ない
終末SF小説の金字塔的な作品として今でも評価の高い「渚にて」。世界が終わるお話、と聞くとすごく絶望的で陰鬱なイメージがしますが、本作のストーリー進行はものすごく穏やかで平和です。
メインの舞台はオーストラリアですが、そこでの人々の描写が平時と変わらず、まるで戦争も放射能汚染もないかのような雰囲気なのがかえって強烈に印象に残ります。
ふつうに農作業をして、湖や街で休暇を過ごして、パーティーで語らって。「この登場人物たちはこのまま穏やかに何十年も生きていくんじゃないか?」とすら思えてきます。
が、一方でだんだん流通が滞って物資が不足していったり、多くの人が一見平常心を保ってるように見えてときどき絶望感を垣間見せたりするのが、一歩ずつ着実に死が迫ってるのを突きつけるようでグサッときます。
「滅亡が決まってる世界×穏やかな空気感」の独特の組み合わせは、伊坂幸太郎さんの「終末のフール」に近いものがありました。
最期の「生き様」のストーリーとして惹きこまれる
滅亡寸前の日々ということもあって内容的には「死にゆく人たちの物語」ですが、そういう悲愴感のあるものではなく、むしろ温かくて活き活きとした生き様が見どころなんですよね。
友人たちとパーティーもするしイベントもするし語らうし、気になる異性と恋もするしデートもする。お気に入りの庭の手入れもするし、愛車の手入れもするし、まるでふつうに次の春が来るかのように農業をする。
「最期まで自分らしくあろう」という気概が感じられて、大げさなドラマチックさがない分かえって泣けてきます。
ごく普通の人たちのちょっとした言葉や行動が妙にかっこよくて、リアルで世界の終わりが来ても自分はこうありたいなあ……と思えました。
映画化・ドラマ化も
SF史に残る名作なだけあって、これまでに2度映像化もされてるんですよね。
1度目は1959年にグレゴリー・ペック主演のモノクロ映画として。こちらはゴールデングローブ賞作曲賞や英国アカデミー賞監督賞を受賞したりと、批評的にも成功しました。
2度目のドラマ化は2000年に作中の舞台でもあるオーストラリアでされたんですが、ストーリーが現代向けに大幅アレンジされていて、作品としての評価はぼちぼち。
ですが、社会崩壊のきっかけが「台湾をめぐって中国とアメリカで核戦争勃発」というものになっていて、20年も前の映画にしてはあまりにも近年の情勢を当てていてちょっと怖いです。こういうことが起こらないとは言えないのが……
まとめ
「人類の滅亡直前」という特殊なシチュエーションではありますが、だからこそ人の生き様が体温をもって描かれるヒューマンドラマとして、真に迫る奥深さがあります。
終活じゃありませんが、「最期の飾り方を見据えて生きる」ということを真剣に考える上でも、こうした作品は影響を与えてくれますね。
社会の崩壊の可能性がゼロではない時代だからこそ読みたい傑作です。
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